1.国の検討会設置の経緯
介護支援専門員(ケアマネジャー)にとって、「今年の流行語大賞」的に最も注目を集めている言葉は「シャドウ・ワーク」でしょう。【高野龍昭】
そのきっかけは、今年3月10日に開催された日本介護経営学会のシンポジウムで厚生労働省・老健局長(当時)の間隆一郎氏が、「ケアマネジャーの皆さんはシャドウ・ワークが非常に多い」と述べ、ケアマネジャーの業務範囲の検討を示唆したことにあります。
それを受ける形で、4月にその老健局長のもとに「ケアマネジメントに係る諸課題に関する検討会」が設置され、今も議論が続いていることは周知の通りです。
私は、厚労省の最高幹部のポストのひとつである局長クラスの官僚が、学会という公式の場で説明に用いた用語・概念には、深い意味が込められていると考えています。
すなわち、老健局長がなぜわざわざ「シャドウ・ワーク」という用語・概念を使ってケアマネジャーの業務範囲の検討が必要だと語ったのか、掘り下げる必要があるのではないかということです。
実践現場のケアマネジャーが「無償かつ本来業務でない仕事」にいかに対応するかと悩んでいることを、「アンペイド・ワーク」(無償労働)でもなく「ボランティア的業務」でもなく、時の老健局長が「シャドウ・ワーク」という用語・概念で説明した真意はどこにあるのでしょうか。
2.「シャドウ・ワーク」とは
(1)I.イリイチによる概念化
シャドウ・ワークは、オーストリアの著名な哲学者・思想家であるI.イリイチ(Ivan Illich)によって1980年代に概念化(※)されたものです。社会福祉専門職の養成においては必ず教授される用語であり、社会保障や経済学、社会学でも重要なキーワードとして扱われています。
※ I.イリイチ著・玉野井芳郎他訳「シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う」p205-243 岩波書店 2006
イリイチはこれを、「産業社会が財とサービスの生産を必然的に補足するものとして要求する労働」「賃労働を補完する労働」と定義づけています。
私なりに言い方をアレンジし、「直接的には生産活動に結びつかない労働であるため、報酬が支払われることはないものの、報酬が発生する生産活動のために必要な無報酬の労働であり、結果として間接的には報酬が発生する労働」と説明しておきたいと思います。
少し難しいでしょうか…。理解していただきたいのは、シャドウ・ワークとは単に「ただ働き」「無駄な業務」といったものを指すわけではない、ということです。老健局長はおそらくここまで深く理解し、深謀遠慮のうえでこの言葉を用いたのだと思います。
シャドウ・ワークの代表例を、イリイチは「女性が家やアパートで行う大部分の家事、買い物に関係する諸活動」「家で学生たちがやたらに詰め込む試験勉強」「通勤に費やされる骨折り」などと具体的に示しています。
確かに、これらはいずれも無報酬の労働ですが、報酬や対価が発生する労働のために不可欠な労働であり、その意味で間接的には報酬が発生しているとみなすことのできるものばかりです。
そのうえで、イリイチはこれを「押し付けられた消費のストレス」「強制される仕事への準備」などとやや抽象化して示しています。これは、シャドウ・ワークが生じることを市場主義・市場原理の歪みと関連づけて説明していると言ってよいでしょう。
さらに、イリイチが強調しているのは、①〈シャドウ・ワーク〉は社会的な人間生活の自立・自存のためのものではなく、形式的な経済を支えるものであること、②〈シャドウ・ワーク〉の支払われない労働という形は、賃金が支払われていくための条件である、という意味づけです。
なかなか難しい言説ですが、この説明の「形式的な経済」を「介護報酬が発生するケアマネジメントの業務」に、「支払われない労働」を「(ケアマネジャーにとっての)本来業務外の労働」に置き換えて読んでみると、イリイチが説明するシャドウ・ワークの意味が、朧気ながら見えてくるはずです。
この他、イリイチはこのシャドウ・ワークが様々な社会的差別の根源となっていることなども指摘していますが、それらについての解説は紙幅の関係で割愛します。
(2)シャドウ・ワークは無償労働を指すものなのか
難解な解説が続きましたが、イリイチによるシャドウ・ワークの概念は、単に無償労働のことを説明しているわけではなく、本来業務外の無用な労働だと言っているわけでもないのです。
もちろん、イリイチはこのシャドウ・ワークをポジティブに捉えているわけではありません。
しかし、その労働を担っている者にとっては賃労働を支えるために必要なものであり、それによるサービスの受け手にとっても必要なものであると説明するとともに、その労働は賃金が支払われていくための条件のひとつでもある、と示しているのです。
これらのイリイチが示した概念を、「ケアマネジャーの本来業務外の仕事」を念頭に置きつつ私なりに解釈すれば、(ネガティブな側面は大きいものの)ケアマネジャーのシャドウ・ワークは社会的にも利用者にとっても必要な業務であり、ケアマネジャーの本来業務を下支えするものであると説明できます。
こうして考えてみると、ケアマネジャーはひとまずシャドウ・ワークを引き受けたうえで、それが費用の支払い対象になるような取り組みをしていくべき、あるいは他の担い手にそれを引き継いでいくような取り組みをすべき、という結論に至ります。
さらに、イリイチの言う「産業社会」は、「市場原理≒介護保険制度」でもあり(正確には介護保険制度は準市場の仕組みによる社会保障制度)、シャドウ・ワークが必然的に生み出される社会的装置が組み込まれている、というのが私なりの解釈です。
3.シャドウ・ワークにケアマネジャーはいかに向き合うべきか
本稿の冒頭に示した老健局長(当時)の間氏による「シャドウ・ワーク」という言葉は、私が上述したような意味を含めて用いられたものだと考えられます。介護保険制度・ケアマネジメントを所管する中央府省の担当局長の発言として、アカデミックな深い示唆があるような気がしてなりません。
一方、「ケアマネジメントに係る諸課題に関する検討会」の9月20日開催分の資料を確認すると、今後の検討会では次のような業務が「本来業務外」の仕事として議論されることになるものと推測されます。
◯ モニタリングや定期の安否確認を除く緊急訪問
◯ 家族介護者本人に対する相談対応、情報提供
◯ サービス調整等に関わらない電話等への対応、時間外相談
◯ 利用者と家族介護者以外の家族、親族、知人等との意見調整
◯ 支援拒否がある利用者の給付開始前の関係構築等
◯ 介護保険制度以外の行政への手続きや申請の代行・支援
◯ 入院・通院時の付き添い・送迎 など
私は、ケアマネジャーのこれらの仕事のどれが「本来業務」であり、どれが「本来業務外」であり、そしてどれが(老健局長とイリイチの言う)「シャドウ・ワーク」であるのか、峻別していくような議論が必要だと考えています。そもそもケアマネジメントとは、歴史的かつ本質的に、「制度外の支援」「専門分野の狭間のニーズの支援」を含むものであることは、以前の拙稿で示した通りです。
ここで示されているすべての業務が、ケアマネジャーにとって単なる無償労働であり本来業務外のものと位置付けられたうえ、それにケアマネジャーが向き合うことをやめるような方向になれば、介護保険制度におけるケアマネジメントは専門的な対人援助サービスとしての社会的信頼を失い、社会的評価も低下し、業務そのものも無味乾燥な、砂を噛むようなものになっていくはずです。
そうなれば、制度・報酬面での処遇改善などは望む術もなくなってしまうことになるでしょう。